あなたの周りに、こんな人はいないだろうか?
「なんか悪い人でも無いし、むしろ気配りができて、挨拶も元気がいいし、物腰も柔らかいのに、さしあたって悪いところが見当たらないのに特に印象に残らない人」
な人である。
そういう人の特徴として、恋愛面ではモテず(でも異性に生理的に嫌われているわけではない)仕事面では出世しない(でも解雇する理由があるほどではない)
でも柳に風で、人への声掛けは怠らず(むしろ積極的なぐらいである)失うものもないけども得られるものもない人である。
どうも、私はこの類の人が苦手である。
たぶんこういう人に「休みの過ごし方」なんて聞こうもんなら「寝てる」と帰ってきて終わりだろうし、ろくに会話が盛り上がらず、かといって避ける理由もないので、なんとか笑顔でやり過ごす。
仮に盛り上げようと思ってブラックジョークなんて言ったら、白い世界に墨汁を注いだようで、逆に罪悪感を感じるだろう。
はっきり言って、偽りの笑顔で対応を求められるから疲れるのである。
でも、こういう人のしぶとさはすごい。
話しかけた数、送ったメッセージの数、押した「いいね!」の数など、数に見合わない行動を費やしても見返りを一切求めていない。
むしろ現実はシビアで、むしろマメではない人の周りのほうが、人が集まっていることも多いのである。
恐らくマメではないぶん、「愛想のデフレ」で、たまに笑うからこそ価値が上がっているんだろうなと、察する。
それでもこういう人は「健気」に人へ愛嬌を振りまいている。
「健気」の言葉のイメージは、いじらしいみつあみの少女ではなく、字の通り、「剛健」の「健」、たくましいのである。
私もやたらと人懐っこい時期があり、イベントに出て愛嬌を良くしても、職場で役に立とうとしていても、自分から声をかけても、見返りが無い歯がゆさを感じていた。
なんたって、あんなに人のイベントに出たのに、私が満を持して開催したイベントにまったく人が来ず、「あれはなんだったんだ…」ということもあった。
今はもう、愛嬌は減るモンだと思っているので、笑いたいときに笑い、話したい人とだけ話す、ということを徹底していたら、長年の付き合いの人も増えてきて、その人と会うときは心から笑えるようになった。
道徳の教科書に書いてあることだけが正しいとは限らない。
だから、この記事を書いているさっきの私よ。
「こういう人は苦手」と切り捨てないでほしい。
上っ面で愛想を良くすることが、その人たちなりの生き方もあるのだ。