INTPが邦楽名曲の歌詞につっこんでみる
→つっこみ対象箇所「はずむ南の恋の夜」
恐らく「南」ということは「南国」あたりを指す。気温はさしずめ20℃以上。
湿度が高く、前髪はおでこに貼り付き、汗ばむことが想定される。
となるとその条件において、「恋」を発展させることは容易ではないのではなかろうか。
一般的に「恋」というのは身体の接触を伴うのだが、恐らくこの歌詞に出てくる「恋」が「屋外」でされることを想定すれば、それは発汗を免れないものであり、衛生的に接触をするのに適しているのだろうか?甚だ疑問である。
とりわけ身だしなみという観点からは、円滑なロマンスは難しいのではないかと、矛盾を感じてしまう。
※空調の効いた「屋内」での接触の線も捨てきれませんが、あえて「南」と表現しているのには、気候的要素を活かしやすい「屋外」での接触を聴き手に想起させているという可能性の下、こちらの論を展開させてみました。ご了承下さい。
2、夏色/ゆず
→つっこみ対象箇所「誰もいない大きな夜の海を眺めながら 線香花火に(略)」
当時の歌い手の年齢を鑑みると、登場するカップルは20代前半。
そのようなおぼこい青年たちと対峙するのは黒くて広大な海。
恐らく、作詞した側は「夏」「海」「花火」と、青年の恋模様に合いそうなワードを盛り込んだつもりだろうが、実際にそのようにふたりきりで花火をした場合、眼の前に広がるのはただの漆黒。
大自然に対して人間が無力なことは歴史が証明している。曲中の2人は、ただひたすら包みこんできそうな闇に畏怖の念をを抱くのではないだろうか。恐れのなか、青年たちは甘い言葉の応酬をしながら花火ができるのだろうか。
しかも「誰もいない」ということを鑑みると砂浜に灯はあまり無いだろうし、治安の面でも非常に心配である。
3、winter again/GLAY
→つっこみ対象箇所「いつかふたりでいきたいね 雪が積もる頃に うまれた街のあの白さをあなたにも見せたい」
私自身も「うまれた街」が青森県某市であり、豪雪地帯の厳しさはよくわかっている。恐らく歌詞にある「うまれた街」を見せたいほどの相手は「恋人」であることが想定されるが、それほど大切な相手を自らの満足のために連れて行くのは、関係維持において適切なのだろうか。
行く場合、交通網の乱れが想定されるため休暇を一日余分に取るリスクヘッジも必要だし、雪国の歩行は転倒を想定して留意しなければならない。
寒暖差のため、服装も低気温に備えたものを用意しなければならない。mont-bellなど防寒性に長けた服装が適切かもしれないが、機能と価格は比例しており、そのような負担を相手にさせるのは誠意って何かね?状態である。
諸々想定されるリスクをあげると、時間や気力、経済的に費やす要素があまりにも大きいのではなかろうか。
※最近はワークマンで比較的安価な防寒着が買えると聞いたことがありますが、防寒に関することは本筋からずれるのでここまでにさせていただきます。
11月28日PMSの精活躍の日
PMSで頭が掴まれたような痛さ、なのに、こういう日に限っていつものように行き帰りの電車が座れませんでした。
きっと、私のことを「なぜか」嫌いなPMSの精という精霊がいて、日本エキストラ協会かなんかに雇ったでは?というイレギュラーな混み具合でした。
あらゆることにイライラして(妖怪階段の手すりを邪魔する歩きスマホおじ、殴っても罪に問われないどころか表彰されると聞いたけど本当ですか?今日2人もいたんですけど?)「誰も◯ってなくてエライ!」と自分を褒め、親に「人生の無常」について電話で話す始末。
いつも話をするとき、なぜか演出をするのですが、今日は素面で話しました。
とにかくPMSが5日ぐらい続き、婦人科は予約でいっぱい(過去三軒行ったけどあてになった試しナシ)
この苦しみは贖罪かなにかでしょうか。
私は争うために生まれてきたような気がしなくもありません。
11月26日キャットストリートの日
PM5時半
ひょんなことから久しぶりに、渋谷から原宿をウォーキング。
宮下公園(今ミヤシタパークか)を通ると、あのときの、何かになりたいけど何にもなれない私を思い出す。
しばらくしたら、「白ずくめの簡素なカフェ」「ネオンギラギラのお店」がひしめきあう通りを通ることになり、「なんて個性的なお洒落空間なんだ!」と感激を覚える。たぶんこのへんに来るのははじめてだと思う。
あ!これが噂のキャットストリートだ。

最近どこの街も没個性だよなあ、歩いているときの渇望がなくなって、均一化されているよなあと思っていたが、きっとそれぞれのお店にコンセプトがあって、キャットストリートに出店してるんだぞという気概があって、その主張がなんだか安心する。
お店をのぞきこむものの、「どのお店も普段着で入るのはしのびないなあ」という身が引き締まる想いはとてもいい。
おおげさかもしれないが、こういう刺激に生の喜びを感じる。
冬の夕方都会ウォーキングは、届きそうで届かない、むず痒さを促してくれてとても良い。
よし、ダイエットするか笑
11月25日ドライトマトパスタの日
PM1時40分
授業は午前で終了。
イコールこれで仕事が終わりというわけではなく、授業の下調べ、民間企業でのオンライン授業の準備をしなければならない。
とやることが詰まっていても、コアタイムからは解放されたので、久しぶりに外食ランチへ。
なんだか無性にちゃんと厨房で作ったパスタが食べたい。
この滅多に無い衝動を胸にビルに入る。
というのも外食におけるパスタというのは私にとって
「イタリアンバルにおいて『今、赤飲んでるから牛肉のラグーパスタかなぁ』『白飲んでるから大葉しらすペペロンチーノかなぁ』と他愛もないことで考え込む、友人との会話のオマケ」と決まっているのであり、一人で黙々食べるものではない。
そうこう考えているうちに、めぼしいお店へ入店する。

この私のためだけに盛り付けられたパスタなんていつぶりだろうか。
PM14時
アウトレットへ服を探しに行く。
骨格ウェーブにとって冬服は難しい。
結局ボディスクラブとアイライナーとクナイプのバスソルトを買って終了。
案の定、このコスメショップが一番混んでいた。お手軽だもんね。
ネットで買うよりも安価でいろいろ買えた。
11月24日カレーオムレツの日
ひょんなことから(ヤフーメールで「過去の記事を見ませんか?」とはてブさんから自動送信メールが届いた)自分で自分の書いた記事を見返したら
「あれ?私のブログってなかなかユーモアセンスに溢れてるね?」と、自画自賛がぐるぐる頭のなかで止まらなくなり、「え?この感性、残さずにいるのもったいなくない?ヨシ、じゃあまたブログ書くか!」という想いに至りました。
現在の職としては、2年前と変わらない学校で非常勤講師としてなんとかやっとります。
(他校の常勤内定も出ていたのですが、任期つきなので断ること2回)
あとは他所で掛け持ちをボチボチ…。
現在、37歳になりました。
独身です。
婚活します。
あ、来月か再来月から?
えーっとまぁ、「年齢のこともあるんだから、一刻も早くはじめなさい」と友人からは言われたのですが、2週間前にようやく8畳の駅近マンションに引っ越して、デスクと椅子を買ってゆったりと作業しつつフッ軽な生活ができそうなので、そろそろします。
(相談所はずっと吟味中)
というのも、単身生活にちょっと飽きがきました。
あとそろそろ家族に新メンバーが欲しいんですよね。私一人っ子ですし。
そんでもってtimeleszも新メンバーオーディションやってますしね!
(そんなこと、このブログをマメに書いてたころの私に言ったら驚くでしょうね。)
とまぁこれ、myテコの原理なんですけど、「納得」という棒がなければ、私の「行動」という岩は転がりませんので…っていう御託は置いておいて
婚活するあかつきには、このブログに経緯を書くことで暗黙知を可視化して、振り返りの場としますね。
じゃあ原点にかえって、今日の出来事をできるだけ残します。
11時
引っ越し後、はじめて近くの公園まで散歩。
そこには少年野球の歓声、遊具ではしゃぐ子どもたち。
見上げれば青い空。
なんだか美しい光景だなぁと、ジンときました。
12時
「こころ旅」の追悼回。(未公開回)
これが見納めなのは寂しいと思いながら、それでも現地の人との軽やかなやりとりにクスっとさせられながら観ました。
オレンジ鉄道からの景色に、瀬戸内海の島を連想するという火野さん言葉、日本は自然が豊かで風光明媚なところがたくさんですね。
最後の手紙読みに入る前の「チャリオ」くんだけが延々と映し出されているシーン、これが最後というのがわかっていたかのような、しんみりしたものがありました。
14時
爆笑サンデー、保科有里さんがゲスト。
「幸せになりたい、のではなく、(この人を)幸せにしたいというほうがいい」など含蓄深い言葉の数々に、ぜひスナックのママをやってくれませんか?と思いました。
保科さんの色気は、人生経験から来る本物なんだなぁ。
19時
カレー味のオムレツ、具がはみ出たけれども巻けたので成功の部類に入るとしよう。
それでは11月終盤もハッピーで行きましょう。
良い人なのに…な人
あなたの周りに、こんな人はいないだろうか?
「なんか悪い人でも無いし、むしろ気配りができて、挨拶も元気がいいし、物腰も柔らかいのに、さしあたって悪いところが見当たらないのに特に印象に残らない人」
な人である。
そういう人の特徴として、恋愛面ではモテず(でも異性に生理的に嫌われているわけではない)仕事面では出世しない(でも解雇する理由があるほどではない)
でも柳に風で、人への声掛けは怠らず(むしろ積極的なぐらいである)失うものもないけども得られるものもない人である。
どうも、私はこの類の人が苦手である。
たぶんこういう人に「休みの過ごし方」なんて聞こうもんなら「寝てる」と帰ってきて終わりだろうし、ろくに会話が盛り上がらず、かといって避ける理由もないので、なんとか笑顔でやり過ごす。
仮に盛り上げようと思ってブラックジョークなんて言ったら、白い世界に墨汁を注いだようで、逆に罪悪感を感じるだろう。
はっきり言って、偽りの笑顔で対応を求められるから疲れるのである。
でも、こういう人のしぶとさはすごい。
話しかけた数、送ったメッセージの数、押した「いいね!」の数など、数に見合わない行動を費やしても見返りを一切求めていない。
むしろ現実はシビアで、むしろマメではない人の周りのほうが、人が集まっていることも多いのである。
恐らくマメではないぶん、「愛想のデフレ」で、たまに笑うからこそ価値が上がっているんだろうなと、察する。
それでもこういう人は「健気」に人へ愛嬌を振りまいている。
「健気」の言葉のイメージは、いじらしいみつあみの少女ではなく、字の通り、「剛健」の「健」、たくましいのである。
私もやたらと人懐っこい時期があり、イベントに出て愛嬌を良くしても、職場で役に立とうとしていても、自分から声をかけても、見返りが無い歯がゆさを感じていた。
なんたって、あんなに人のイベントに出たのに、私が満を持して開催したイベントにまったく人が来ず、「あれはなんだったんだ…」ということもあった。
今はもう、愛嬌は減るモンだと思っているので、笑いたいときに笑い、話したい人とだけ話す、ということを徹底していたら、長年の付き合いの人も増えてきて、その人と会うときは心から笑えるようになった。
道徳の教科書に書いてあることだけが正しいとは限らない。
だから、この記事を書いているさっきの私よ。
「こういう人は苦手」と切り捨てないでほしい。
上っ面で愛想を良くすることが、その人たちなりの生き方もあるのだ。
2年ぶりの記事ですが。
「このパスワードを使ってログインできたら記事を書こう!」と思って久しぶりにログインをしたら、なんと成功しました。
あれから2回ほど勤務先の学校が変わり、変わらずのさすらい生活です。
変わったことといえば、今年度からようやく常勤講師への職を志すべく動いていることです。
今週はとある一貫校で久しぶりの模擬授業。(採用試験)
「社会科教員求人」とひとくちにいっても高校だけでも7つの科目があります。
(日本史、世界史、倫理、政治経済、地理、現代社会、歴史総合)
私が長く授業していたのは「日本史」。(トータル4年半)
しかし今回模擬授業で指定されたのは「歴史総合」。
簡単に言えば今年度から導入された、「世界史・日本史」のリミックス科目です。
特徴といえば、「資料から当時の状況を探る」など、生徒の手と頭を動かせながら授業を進めることでしょうか。
「歴史総合」の授業すらやったことがないので、とある出版社発行の資料をたくさん引用したらわけのわからない授業になってしまい、
(土日返上で準備をしたのに・・・)
先生方(7人ぐらいいた)に突っ込まれて、質問の意図さえ理解できずに回答がしどろもどろになり撃沈しました。
ちなみにテーマは「東アジア太平洋情勢の変化」だったのですが、そこに「アヘン戦争の絵図」「アヘンが清国内で問題になった理由」「異国船打払令をゆるめた理由」「ペリー来航の情報伝達から何を読み取るか」など様々なことを盛り込んでしまい、そのことを同業の友達に話したところ、「グローバルヒストリーと結びつけるんだで」と突っ込みを入れられました。
そして「友達は日本史、世界史も教えられて、しかも歴史総合のことまで把握している・・・本や研究を読めと言われても、もうワイは頭の容量が限界や・・トホホ」と意気消沈していました。
ネット上にいる塾や学校の先生方も、本当にいろんなことを知っています。
しかし、落ち込んでもいられないので気持ちを切り替えて通常の授業に臨んだところ、授業公開の日にあたりました。
他の先生からは「廊下でお話される保護者もいらっしゃるので、いつも以上に声を張り上げるといいですよ」とアドバイスを受け、授業では「ハイッ!今日はSO!惣の話ですよッ!!」と声を出したが最後、不思議なものですね、声量を上げるとテンションが上がるという・・・
生徒の「先生、いつもと違う・・」「おかしくなった・・・」「ハイになってる・・」「情緒不安定・・・」という声を横目に「惣村!自検断!そして入☆会☆地!」と韻まで踏む事態に。
とはいえ、生徒たちはなんか楽しそうにしていたし、比較的賑やかなクラスなので「いつもそうしてください」「ようやくうちのクラスの扱い方がわかってきたようですね」というお言葉をいただきました。
何はともあれ、アドレナリンを出したことで、いつも頭のなかで考えながら話していたことが、リズムをつけて言いたいことをパンパンと話せたからいいのではないでしょうか。
きちんと「室町時代の農民はいかにして自立したのか」について言及できましたよ。
というわけで、大声を出したことによって頭が回転し、何故か吹っ切れた、久しぶりに「本来の自分になれた」というスッキリ体験をしました。