人をやたらめったら羨むのはやめようと思った
ここに書くことではありませんが、色々色々ありましてしんどい想いをしてました。
会社員だったときもそうなんですけど、本当にしんどいときって「辛い」と言うのも憚れるんですよね。
しかも今は仕事じゃないところであったんで余計に。
大人になると「辛い」とか言う前に何とかしろ!ってもう一人の自分が囁く。
「すべて自分が引き起こしたことなんだから」と。
ネット界隈自己啓発村でもよくあるよね、「自己起因説」。
一方で、どうせみんな一人で生まれて一人で死ぬんだから好きに生きればいいんじゃん、と思うんですけどもね。
お互い迷惑をかけあって生きてるのは当たり前。
ネット界隈開き直り村でもあるよね、「人の目なんかどうでもいいじゃん」説。
大体の人が、こういう二重の考えを「迷うな♪セクシーなの、キュートなの♪」と行ったりきたりしてるのだろうなと思います。
あやや可愛い。
ぱっと見明るい人も、モテる人気者のあの人も、幸せそうなあの人も、見えないところで辛い思いをしてるのかもしれない。
以前いわゆるあるインフルエンサー的な人と飲んで思ったのは、そもそもいろんな人の心を掴める人って、人の気持ちに敏感だからそうなのであって繊細な人や過去につらいことがあったからそれをばねにしてる人が多い。
・・ような気がする。
そして先日、新聞の人生案内で「既婚者」「独身者」それぞれの視点から「晩年寂しくて・・」という投稿が紹介されたし、
結局「~だから幸せ」というのは短絡的な決めつけなんですよ。
羨ましいと決めつけられて苦しい想いをしてる人もいるかもしれない。
そう決定的に思ったのは、30歳のお母さんによる三つ子のうち一人を殺めてしまった事件。
「子育て」って、SNSとかでは幸せほっこりトピックとして挙げられるのだけど
よく考えれば、24時間小さな命を守らなければいけないなんて・・しかもこのお母さん三人もでしょ?
街で双子とか見て、「あのベビーカー、赤ちゃん二人もいて可愛いなあ~」としか思ってなかったけど、連れてるお母さんは大変なのだと思う。
もっと苦しみを吐き出せるようになって欲しいし、
じゃないと課題に気づけない。
よく「愚痴はいやだ!」という人がいるし、否定的な話が続くのは私も苦手だけども
たまには良いと思う。
むしろ言って、とも感じる。
だってそれまで精一杯やったわけでしょ?
弱音を吐くことは前向きな行為説を提唱します。