そんなつもりないんですが、私は「優しい」と言われる。
そう言われるとモヤっとする。
「この人は何しても良い」と思われてる?ナメられてる?のではないかと思ってしまう。
優しいことによって、機会損失をしているのではないか。
例えば、本当はクレームを言えば返金される案件なのに言わないことによってそれが無いとか。
あとは優しいことによって、厄介ごとを振られやすいと思われてるのではないか。とか。
例えば仲間外れの子を先生にあてがわれる優等生とか。
(実際にそうされたことはない)
かといって、短気とか心が狭いだの言われたら罪悪感に駆られてしまう。
私は結構怒ることが多くて、物理的、心理的共に距離が取れない人とか、想像力が無い人とか、ヒドいことされてるのに怒らない人などなどに対して憤ってしまう。
キレやすすぎて塩分摂りすぎたかな?とか思ってしまうこともしばしば。
今の職場は学校なのでやらないが、よくドアや壁を蹴っていた。
あ、嘘。学校の印刷機二度ボコった。
しいていうならば、「怒り」をその場に持ち込むことによってコトが上手く運びますか?ということに対して「怒らない」から、つまり「優しい」と思われているのかもしれない。
(やんわりと諭すことはある)
ミスして謝ってる人に対しては次やらなければいいという気持ちしかわかないし、
うっかりされてもそれなりの対応をしてくれれば別に構わない、
怒ることで相手が萎縮されては元も子もない。
そもそも、いつか自分だって迷惑をかける可能性もあるし。
そして、「優しくない」ことは結構パワーを使う。
「優しくする」ことによって、「あの人に良くした」という既成事実が出来、何かあったときに頼りやすくなる。
つまり、優しい人になりたくないんじゃなくて、「お人好し」に思われたくないのかもしれない。
私の統計だと、そっけなかったりハッキリしてたり、表面上「優しくなさそう」な人が意外と優しい。
逆に表面的に「優しい」人は私としては、どこか内心面倒ごとを避けたいとか、心で怒りを感じているからそれに蓋をしてるとか、自分もそんなことがあるから相手もそうなんじゃないかと思って少し怖いときがある。
つまり、他人に期待されたくない、尖っていたい、ハッキリ物を言いたい(一応言うよう努力しているがよく手に汗握ってる)気持ちが私に眠ってるのだろう。
なんだかんだでサバサバしている自分が好きだし、
ちょっとスパイシーな人も好きなのです。
つらつら書いたけど、30になる年に「自分の人生を生きよう!」って会社を辞めて表面的に優しくするのを控えた結果、内心人を気遣えるようになった気がする。
イヤな奴は期待もされないし、ちょっとイイコトしたら株が爆上げされるのだ。
取り留めがないのですが、是非この記事を元に建設的な話し合いをしたい2020
アフォガードのように、甘さと苦さのハーモニーを醸し出す人でいたい!